翻訳と辞書
Words near each other
・ ウラジーミル・メリニチェンコ
・ ウラジーミル・モオロ
・ ウラジーミル・モノマフ
・ ウラジーミル・モノマフ (装甲巡洋艦)
・ ウラジーミル・ヤクーシェフ
・ ウラジーミル・ヤクーニン
・ ウラジーミル・ヤコブレフ
・ ウラジーミル・ヤコヴレフ
・ ウラジーミル・ヤロスラヴィチ
・ ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ガーリチ公)
ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)
・ ウラジーミル・ユーリエヴィチ
・ ウラジーミル・ユーリエヴィチ (ムーロム公)
・ ウラジーミル・リシン
・ ウラジーミル・リセンコ
・ ウラジーミル・リャコフ
・ ウラジーミル・リャホフ
・ ウラジーミル・リヴォヴィチ
・ ウラジーミル・ルイシコフ
・ ウラジーミル・ルキン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公) : ミニ英和和英辞書
ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラヴ : [らヴ]
 【名詞】 1. love 2. (n) love
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公) : ウィキペディア日本語版
ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)[こう]
ウラジーミル・ヤロスラヴィチ(、1020年 - 1052年10月4日)は、ヤロスラフ1世と、スウェーデン王オーロフの娘インゲゲルド(ru)との間の子である。ノヴゴロド公1034年 - 1052年。15世紀にブラゴヴェルヌィー(ru)として列聖された。
==生涯==
ウラジーミルは1020年生まれであるが、ノヴゴロド年代記の1つには1030年生、複数の年代記には1034年生とする記述もある。ノヴゴロド公国の統治において、軍司令官(ヴォエヴォダ)のヴィシャタと、主教のルカ(ru)の補佐を得た。1042年、南フィンランドヤミ族への遠征を行った。この遠征では多くの馬が疫病で死んだ。1043年にはハーラル3世と共にビザンツ帝国へ遠征した。このルーシとビザンツの戦争(ru)は失敗に終わったが〔マッツ.G.ラーション『悲劇のヴァイキング遠征』p82〕、異説の中には、1044年にウラジーミルがヘルソンを手に入れたというものがある。
ウラジーミルはノヴゴロドに聖ソフィア大聖堂を建設した。また、ルカの指示によって石造りの要塞が作られた。聖ソフィア大聖堂は1052年9月14日に祓い清められており、その20日後、子のロスチスラフを残し、1052年10月4日に32歳で死去した。遺体は大聖堂のいずこかに安置された。
1439年、ノヴゴロドの大主教エヴフィミー(ru)は、10月4日をウラジーミルと、近くに埋葬されていた、ウラジーミルの父ヤロスラフの最初の妻のアンナの記憶日と定めた。これはアンナがウラジーミルの母と誤認されたからであるが、聖録は、アンナと、ウラジーミルの母のインゲゲルドの二人の女性を、アンナという修道名を持つイリーナという一人の女性に改変した。
ロシアの系譜学者N.A.バウムガルテン(ru)の説では、ウラジーミルはシュタデンスク伯レオポルドの娘・オダ(ru)と結婚したとされる。しかしA.V.ナザレンコ(ru)は、この説に疑問を呈している〔〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウラジーミル・ヤロスラヴィチ (ノヴゴロド公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.